NIKKI

 

過去に書いてきた日記ネタをつづってみました。
時代はさまざまです
「おひなさま」 2008年3月02日

息子が保育園で作ったもの。
毎年一緒に飾っている。

わが子にも、こういうのを作った時代があった。

「お父さん、見て見て」と、得意になって帰ってきた時代があった。
わたしの喜ぶ顔を見て喜んでいた時代があった。

「はじめての腕時計」 2008年02月14日

高校に入学したお祝いに、父が買ってくれた腕時計。メインではないが、いまでもときどきつけている。

 自動巻きのシチズン。
いわゆるゼンマイで動く機械式ってやつだ。

 16歳のときからだから、もう33年前になるのかな。ときどき分解掃除してもらって、ここまで生きてきた。

 当時レベルでは薄型ということであったが、クォーツ式と比べると部品が多いぶん厚くなってる。

 そして風防は当時流行ったカットガラス。文字盤は見る角度によって色が変わるっていうスグレモノ。
 いまだったらぜったいに買わないデザインだけど、あの当時はコドモだったな (〃_ 〃)ゞ 。

「娘」 2008年02月06日

所はたぶん上越の高原だろう。

 ヨチヨチ歩きの娘がしゃがんでわたしを見ている。
きれいな花を見つけたのか、それとも珍らしい虫でもいたのだろうか。

 左手で指さして
 「ねーっ、おとうさん」と言っている。

 たいせつなたいせつな娘。


 この3年後に、入院しちゃったんだ、わたしは。

 体をすっかり壊して。…死なないでよかった。

はじめてのデェト」 2008年02月05日

 妻を最初に誘ったのは、このSRの後ろのシート。
彼女の家に電話をかけて「車じゃないんだ。バイクなんだけど、いいかな」って。

 妻は自宅にあったという、弟の大きすぎる赤いフルフェイスを持ってきて、それがブカブカだった。しかたないから、わたしのヘルメットを貸してやり、わたしは真っ赤なフルフェイス。似合わなかった。

 今年で結婚23年。
SRもわたしも、齢をとった。

 妻は、あんまり変わっていない。
あのころと同じように、わたしのそばに、いてくれる。

「こんにちは。ハチといいます。」 2008年02月04日

 わたしの帰りを待っててくれる家族。
縁側犬。雑種のメスで9歳。
カメラがきらいで、犬小屋に逃げちゃってます。

 もう、子どもたちは「わーい、おとーさんだー」ってはしゃいでくれない年頃になっているけれど、ハチだけはいつでも「わーいわーい。うれしー」って喜んでくれるから、心底カワイイ。長生きしてもらいたいなあ。

「公式ホームページの新年会」 2007年01月20日

  東京からきたりんちゃん姉妹を瓢湖と豪農の館に案内し、そのあといっしょに電車に乗って新潟駅で降りた。

 りんちゃんとは何度か会っているのだが、お姉さんとははじめてなのだ。いつもりんちゃんが「きれいで頭がいいのよ」と言っていたけれど、ほんとに噂どおりの自慢のお姉さんだと思った。それに声がとってもかわいい。二人ともよく似ている。

 新潟駅のホームにpinoさんがいるからビックリした。同じ電車に乗っていたのだ。地下の改札を出て本屋さんに直行し、私の本のありかをpinoさんに聞いた。

 「初日はここにあって、いまはここなんですよ」と最初にあった場所と、今現在平積みになっている場所を教えてくれた。こうやって、いつもチェックしてくれていたのだなと思ったら、すごくうれしい。

 そこでpinoさんとはいったん別れ、われわれ三人はそのままワシントンホテルにチェック・イン。もちろん私が泊まるのではなくて、りんちゃん姉妹の宿である。

 姉妹と一緒に駅前をルンルンと歩き会場の鬼平に向かったのだが、道を一本まちがって入ってしまった。二週間前にもいったばかりなのに、もう忘れている。
ちょっと危ない兆候かも。

 そのまちがった道に、無駄に背の高いキムリンがウロウロしていた。電柱と同じほどの背丈だら、どこにいてもすぐわかる。
 彼もまた道をまちがっていた。二週間前、いっしょに飲んだっていうのに。まだ若いのにお気の毒だ。

 会場には五時ちょうどに入った。
 部屋に入る日報事業社のイケメンSさんのお尻が見えた。それを追って大急ぎで私も部屋に入り、さてどこに座ろうかと空いてる場所を目で追っていたら、ちるにーが「カモーン」とウインクしながら呼んだので、ついフラフラと隣に座ってしまった。ちるにーって意外とフェロモンのあるオンナかもしれない。あなどれないライターである。

 ちなみに旦那が写っているという雑誌をもってきてみんなに見せていた。「ほら、カッコイイでしょう」と。ほんとにカッコイイからムカつく。きーっ。

 その隣はしぶみほ。しぶみほは会うたびにきれいになっている。ちょっとヤバい色香。どーしたどーした。彼でもできたか。いったいなにがあったんだい。おじさんが聞いてやるから楽しい話を教えなさい。うひひ(ああ、すっかりオヤジ)。

 なんとなんと、みんなが本をもっていて「サインしてちょーだい」なんて嬉しいことを言ってくれた。もちろんソッコーでサインした。トレードマークのうにヘビを入れてみたり、ハートを書いたり。今日の日づけを入れてくれなんてリクエストもあったけれど、今日が何日か思い出せなうて困った。やっぱり危ない兆候かも。

 私の目の前に座っている女性が・・・はじめて会う人。「きら」さんかなと思ったら正解。そのお隣に助産婦さんをやっているというお友達。きらさんの子守り役(?)としての参加らしい。終始私のエッセイをほめてくれたので、正直ないい人にちがいないと思っている。

 その奥にもはじめての人がいて、しぶみほのお友達だった。この人も笑顔がとってもいい。「彼氏からしっかりと監視するように言われているんですからね」と、しぶみほが鉄壁のガードをしていた。

 今回、私自身のはじめましてはこのお三人さんであった。もっともきらさんには某中学校の講演会で見られていたようだし、毎日のように掲示板で話をしてるのでぜんぜん「はじめまして」の気分ではないけれど。

 新潟日報事業社のイケメンSさんは新婚さんだそうだ。ちなみにキムリンと同じ齢。どうして同じ年数生きてきているのに、こんなにちがってしまうのだろう。
えっと、どっちがどうってことは、諸般の事情でくわしく書かないが、どちらか一方は、やたらとコドモっぽい。

 そのコド、いや、キムリンが、勤め先の戸■書店で使うからと色紙を二枚持ってきた。色をいっぱい使ってサインしろというわけで、新品油性ペンのセットまで用意されている。

 ああ、こんな私のためにキムリンはお金を使ったのだなと思ったらちょっと感動し、誠心誠意努力して色紙にサインして渡した。
 キムリンったらこれを見たら嬉しくて泣くぞと思ったのだが、受けとった瞬間に「うににんさーん、なんですのこのやる気のないサインは!」と怒った。私が泣いた、悲しくて。

 私の左隣にはpinoさん。はにかんだような笑顔がいつもかわいい。その隣には水ダコの守護霊を持つというタコさん。このお二人には前に別口で飲んだことがある。そのとき、笑いすぎて危うく酸欠で死にそうになって幽体離脱まで経験した(ちょっとうそ)。

 ちょっと遅れてまあちゃん親子が登場してくれた。遠いところ、お子様連れで参加してくれるのだから嬉しい。子どもはみんなの人気者。まあちゃん、あいかわらずかわいくて若い。しかし、そう見えてもキックボクシングをやってたりする。

 さらに遅れてテコンドー協会副理事長も参加してくれた。彼は新潟市の西地区でテコンドーの道場を開いているのだ。遅くきたけれど、しっかりとワリカンには参加してもらった。貴重な割り勘要員である。

 二時間飲み放題コースのはずなのだが、気がついたら六時間すぎていた。
 時間をすぎても追い出さない太っ腹の店に感謝。しかし、タバコの煙がだいぶキツイ。格子戸で仕切られた個室だから、煙がどんどん入ってくるのが困る。換気扇も負けているみたい。

 じつは、どんな料理が出たのかあまり記憶にない。テーブルにはついたときから鍋が乗っていた。そのあと刺身が出たのかな。魚が二種。
あとはなんだったろう ??(゜Q。)?? 盛りだくさんだったような気もするけど、覚えていない。やはり危ない兆候だろうか。それとも飲みすぎ?


 いろんな想いを聞かせてもらった。こうやってさまざまなエネルギーをいただき、また書き続けることができるのだ。皆さん、どうもありがとう。

「レース用を買った」 2006年10月02日

 ランニングシューズのレース用を買った。アディダスのレース用。ちなみに、オークションじゃないぞ。

いままでは、足に超優しいトレーニング用で練習もしていたし本番もそれで走っていた。厚底でクッションがいっぱいあるほうが足のダメージが少ないのだ。そのかわり、タイムはちょっと遅くなる。

 今回、初めてレース用を買った。もっとも、ガチガチのガチンコではなく、「ま、レースかな」って感じのモノだけど。それでもいままでのモノとは段違いの軽さなのだ。足へのダメージがやや心配だけど、心配なんてのは走り終わってからすることにした。

新潟の10キロはこれでいくぜ。
打倒カエル。打倒キムリン。打倒妥協したがるオレだあ!

「ソーセージ定食」 2006年9月27日

 今日のお昼はソーセージ。
魚肉ソーセージを一本ぜんぶ切り刻んでご飯の上に載っける。
それだけ。

あと、残りものの冷たい味噌汁。温めるの面倒だから、冷たいまま飲んだ。

ちかごろの魚肉ソーセージは保存料だの着色料だの使ってないって書いてある。
素晴らしい。だから安心してソーセージ定食に挑むことができる。ヘルシーだし安いし。

「飲んでた」 2006年9月17日

 じつは昨日、夕方の四時から新潟駅前の安兵衛で十時半まで友だちと飲んでた。
ラストオーダーですって言われて、わー、すげー長くいたんだなって思って帰った。


ビールの生を二杯、その後は酎ハイをたくさん飲んだんだけど、意外とさわやかな目覚め。

ただ、足元がフラフラする・・・ってのは、まだ酔ってるってか。

となりのテーブルに、神戸からきたっていう赤ちゃん連れの夫婦が座って仲よくなった。
名刺くれたので見たら、どっかの大学の工学博士だった。
その名刺、どこいったか、忘れた(′0`)。私は名刺を持ってなかったのでやれなかった。
 
工学博士に「超能力スプーン折り」を見せてやったら驚いていた。「生まれてはじめて目の前で見ました」って。どーだまいったか。

「魚の骨」 2006年9月15日

 色紙を届けた先からメールがきた。

「ここに描かれている魚の骨はなんですか? かわいいですね」

えーとえーと、魚の骨はですねえ、
魚の骨は、えーと、
魚の骨なんて描いたっけ?

と沈思黙考・・・・あっ。

お、おくさん、それは魚の骨じゃありません。
それは、うにヘビです、うにヘビ。超有名なうにヘビ

その奥様を傷つけずに「うにヘビ」のことを知らせるメールは、いやあ、難しかったですなあ。

ちなみに、返事はまだです。こない気がします。

「新聞社に行ってきた」 2006年5月31日

 重松さんとの対談にスポンサーさんがついてくれたので、新聞広告が載るそうだ。
それについてのインタビューがあり、新聞社に行ってきた。

これで四回目かな。
最初にいったのは、本の売りこみだった。
受付で担当の人を呼んでもらって本を渡し「どーか読んでくだせー」と言って頼んだんだった。

 今日いったのは広告局広告部ってところ。
受付で許可証をもらい胸につけ、三階まで階段をのぼっていったら、途中の踊り場で担当のオネエサンが待っていた。「いらっしゃいませー」。絵顔がとってもかわいい。もちろん、笑わなくてもかわいい。

 応接室に通され、いろいろとインタビューをされたけど、マトモに答えたのだろうか。
どーも不安。
「藤田さんにとって家族とは?」と聞かれたから、じっくり考えたけれど「わかりません」と言うしかなかった。ほんとにわからんてば。言葉で的確に言える人っているのかなあ。
なんと答えても不十分な気がして答えられなかった。
「家族の絆を深めるためにいちばん必要なことはなに?」というのにも「わかりません」としか言えない。困ったなあ。こんなんで重松さんとの対談ができるのだろうか。

 喋りながら、写真を何十枚も撮られた。これだけ撮って、マトモなのがなかったら、もうそれはわたしの責任。カメラのレンズを見ることができない。恥ずかしい。いつも目をそらす。

一時間半の取材を終え、学芸部にいって担当デスクのところに挨拶にいった。部長も出てきてビックリ。ひー。偉い人にはとことん弱いアタシ。

「ちょうどよかった。藤田さんにファンレターきてますよ」と渡されたものは一枚のハガキ。
新聞への投稿だった。毎週金曜日が楽しみですという内容。本人は匿名希望で出したのだが「このコーナーは匿名だと載せられないんですよね」というので、新聞に載らないかわりに私が返事を書こうと思ってハガキをもらってきた。宝物がひとつ増えた。

「修行の旅」 2006年5月27日

今朝は5時15分から娘の運転で娘の大学まで行ってきた。
往復50分ほどの旅。

 娘は運転の修業だし、私は娘がどんなにヘタでも怒らないという修業。

 早朝の田舎道はちょっとキケンなのだ。
野生動物が死んでたりする (゜▽゜*)。
阿賀の川沿いの土手道で、カモのような死骸があって、それをカラスが食べていた。
 

 それを見た娘はテンパってしまった(本人談)そうで、40キロ制限なのに80キロ出して走ってる。減速減速減速ーと、静かに叫んだ。

 おっかねーよー。土手から落ちたら、オラも死骸になっちまうだよー。人生、まだ終わりたくないだよー。

 大学の駐車場についたら、喉が渇いてカラカラ。あ、それは私だけ。娘は「おなかすいたー」だった。もしかして、母に似て大物なのかもな。

 ま、なんどか切りかえして家の駐車場にも入れることができたし、お互い確実に進歩はしている。

「ワイン試飲会」 2006年05月13日

もちろんワインの微妙な味はわからない。
しかし、試飲会にいく。明日いく。地元の酒屋さんが毎月やっているのであった。

 明日はヴェルジェを中心にブルゴーニュの白と赤を予定している・・・らしいが、意味がわかんない。でもいく。

 以前に一回いって、そのあと毎月ずっと誘われていたんだけど、はずせない予定が入りっぱなしでずっといけなかった。

 やっと明日はいける。ひさしぶりだなー。
 一人でべろべろに酔っぱらって万代橋から信濃川に飛びこんで水泳だー、はーはははっ(あぶないから、よい子は真似してはいけません)。


「試飲会当日」   
2006年05月14日


「大試飲会:秘話」 
2006年05月15日

12時から3時半くらいまでがワインの試飲会。

 十数種の白と、それから赤が八本かな。最初のうちはソムリエの言葉に「うんうん」とうなずきながら飲んでいたけど、私らのテーブルは開始三十分で宴会状態になっていた。もうワインの微妙な味がわかんない。

 あまりに楽しい雰囲気なもんで、独身の知人に電話した。「可愛い女の子がいっぱいいるからすぐにこいよ」って。そしたら、きた。ハイテンションな部屋の中に入ったばかりのときはシラフの彼も、あっというまに同じテンションになった。ワインの力は偉大だ。

 3時半で試飲会はオヒラキ。とーぜん二次会ぢゃーというわけで、我がテーブルのメンバーを中心として九名の二次会隊が結成された。万代橋を元気に行進。若干酔っぱらいすぎてホフク前進しているヤツがいたような気もしたが、その後、見なくなったので、どこかで息絶えたか関係各位に捕獲されたか。ナンマンダブ。

 さて、三時半からやってる飲み屋は限られている。やっぱり新潟県テコンドー協会御用達の駅前居酒屋のY。半分以上がはじめて会った人たちだけれど、そんなもんまるで関係ないぜっていうノリだった。参加者で覚えているのは、えっと、浄土真宗のお坊さん、医者じゃないけど医学博士、OL、主婦、呉服屋の娘さん、土建屋さん、ほかいろいろさまざまな人たち。

 Yではひたすら生ビール飲んだ。
メニューにグラスワイン300円なんてのがあったけど、いらんいらん。

 ビールは楽だ。
ワインは口に含んだあと「えーと、ソーゲンの風がどーしたこーしたで春の光を浴びちゃってリンダ困っちゃう、うふっ」なんてことを言わないといけない雰囲気だけれど、ビールは「ぷはーっ! うめーっ!」ですむところがいい。

 6時過ぎまで飲んで、地下の居酒屋から地上に出た。まだ外は明るい。
「明るいうちから酔っぱらっていると、なんだかひどい悪いことをしててい気分になって楽しいよねえ」と、みんな口々に言う。たしかに楽しい。一人だけで酔っぱらっていると気が滅入りそうだけど、団体だと悪いことが楽しい。

 そのあと、皆さんわかれ、いっせいに家に戻った(・・・はず)。

 その後の私は、家に戻って二言三言妻になにか報告したあと、意識不明の状態となり、服を着たままで寝てしまった。

「真夜中の苦しみ」 △/△(木)

夜中に異常な苦しみを感じて目が覚めた。
腹の上に足がのってる。わたしの左側に寝ている女房の両足。

 わたしを起しておきながら、本人はスヤスヤと寝息をたててやがる。

 その場に立ちあがりじっくりと眺めた。あおむけのまま中心から60度ほど斜めになってこちらの陣地に足が侵入している。

 このままでは、わたしの寝るところがない。まさか女房の足の上に寝るわけにもいかんし。

 だから、「よいしょっ」と両足首をもって右側に移動した。腰から下だけぐいっと曲がって向こうに戻った。あおむけのまま「くの字」だから、動かされた本人はかなり苦しい体勢ではないかと思うのだが、一瞬「ぐっ」と小さな声をだしただけで、一秒後にはまた平穏な寝息に戻った。

「親だ」 △月□日(火)

いつまでたっても、親は親だ。子どもは親の子なんだ。
 年老いた母親は、わたしをいまだに子どもとして見ている。

 「写真にうつるときはもっと笑ったほうがいいよ。オマエは昔からつまんなそうに写真にうつる子だ」なんて、テコンドーワールドカップにいってきたわたしの写真を手にしながらボソボソいってる。
急がしくて笑ってる場合じゃなかったのですよ、おかあさん。長生きしてください。

「ペット時代の終焉まぢか」 ○/△(火) 2002年の日記

息子(小六:独身)のペット時代が終わろうとしている。
いつも「おとーさん、おとーさん(*^・^)」と足もとにまつわりついていた息子も、最近は友だちがそばにいると愛想がない。先日も、小学校のプールにいたので話しかけたのだが「うっせー」という感じで邪険にあしらわれた。うう、ちくしょー。反抗期に入りはじめている。

 でもしょうがない、ヒトはそういうふうにプログラムされているのだ。

 そのかわり、高一の娘がまた愛想よくなってきたのでうれしい。

「アメリカの御婦人と電話」 ○月×日(金)

最近、外国のかたと電話でお話をすることがあるのだ。テレビで日本人が外国人の真似をして日本語を話すあの感じになってしまう。

 「あー、わたーし、藤田です。あります、用事」てなふうになってしまう。ふつうに話せばいいのだけれど、どうしてなんだろう?

 アメリカの御婦人と話すときは、脈絡なく「あなーた、とても、キレイ」とか、よけいなこといってしまいそうで、途中で話がわかんなくなる。うきーっ。

「赤点」 ○/△(木)

「オトーさん、あたしとうとう期末でとっちゃった」
「なにをよ」
「赤点。数学30点。5点たりなかった」
「なんと」
「怒る?」
「もう、メチャクチャに怒る」
「でもね、でもね、アタシばっかりじゃないんだからね」
「よそは関係ないっ!」
「ふぁーい。でもね、でもね、隣の○○子は4点だったよ」
「よ、よんてん? すげー」
「でしょ、すごいんだから。ちょっとヤバイよね」
「とーぜんヤバいぜ」

 すげーすげーヤバイヤバイと親子で感嘆していて、それをまた妻に伝え、家族総出で「すげー」とやっていたら、いつのまにか娘だけ部屋に戻ってピアノ弾いてた。

「ノースリーブの先生」 △/×(金)

今日出た某会議にお医者さんがいっぱいいて、そのなかで耳鼻科の先生がノースリーブの女性だった。

 もうわたくしダメざんす。ノースリーブには弱いざんす。なにはなくともノースリーブ、三度の飯よりノースリーブ、ってなくらいざんす。

 これからいっしょうけんめい鼻をわるくして、この女医さんのところに通おうと誓ったのであるぞ(う、うそだってば)。

 その後知人に「その先生はノースリーブが似合っていたか否か」と問われたのであるが、そういえばどうなんだろう。年齢容姿、ともに覚えていないあたりが危ない。

「某大会にて:諸君」 ○/×(日)

キミたちはがんばった。どこにも負けないくらい努力した。だからこそ悔しがれ。
 

 いっしょうけんめいにやったから悔いはないなんて、悟ったふりのジーサンみたいなことをいってゴマカすな。いっしょうけんめいにやっていたからこそ、この結果を悔しがれ。そうすれば、負けたことにも意義がある。

お疲れさまでした。いい酒を飲もう!


 


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